ソーシャルメディアは想いを書き連ねるハードルの低いメディアではあるが、想いと書き込みは別の話
2017/01/27 11:55


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ソーシャルメディア、特にTwitterは表現のハードルが低く、しかも短文で即時に情報発信が可能なツールとしての特性を持っている。書き込みを意味する「ツイート」が「つぶやき」と日本語に翻訳されている通り、普段から思っていることをさらりと書き込んで発信することができる。その便利さゆえに、今ではツイートされた内容がそのまま方便や妄言として伝えられることも多々ある。本来は口から語られた内容であることが前提なのだが。まるでSF映画や漫画に登場する、入力者は頭部に接続端子をつなぎ、頭の中に思い浮かんだフレーズをそのままパソコンに入力していくような状況下で打ち込んでいるとの認識ですらある。

↑ 若年層ではすでにコミュニケーションツールとして電話やメールではなくソーシャルメディアが主軸となっている。ミュニケーション系メディアの平均利用時間(平日、2015年、分)(平成27年 情報通信メディアの利用時間と情報行動に関する調査から)
その一方、ソーシャルメディア上の書き込み、特にツイートされている内容に異議を唱えたり、悪しき部分や誹謗中傷に訂正を求めたり、誤解やおかしな部分を指摘すると、それらのアクションへの反論において「思っただけなのに(どうしてそのようなツッコミをしてくるのか)」との類のものが少なからずある。
自分は考えただけ、思っただけで、あなたに何か反論されたり意見される言われはない。なぜ自分がそのような指摘や反論を受けねばならないのか。むしろ自分はあなたからそのようなちょっかいを受けた被害者である、とでも言わんばかりである。

ブログではそこにアクセスしないと閲覧されない、Facebookは多分に身近な・同じ意向を持つ者でグループ化されるため情報の伝達は特定少数になりがちとなる、LINEに至っては事実上チャットと同じで意図しない対象に自分の「思惑」が伝えられる機会は無い。しかしTwitterでは利用者同士のハードルが低く、情報伝達が容易になされるため、「思っただけ」の書き込みが容易に第三者、そして対象者に伝達され、意思として伝えられる。好きな作家へ感想を抱くことが「思う」であり、ブログに書くことは「交換日記にしたためる」、Facebookでのやり取りは「友達との会話で話題として取り上げる」、Twitterでのツイートは「作者への感想として手紙を書いて投函すると同時に街の掲示板に貼り出す」ようなもの。

ソーシャルメディアの中でもTwitterは、交わされる内容に関して品性が無いとの指摘も少なくない。しかしTwitterとてツールでしかなく、そこで交わされる言葉は使っている人が放ったもの(botなどによる自動ツイートもあるが、結局それも人の操作によるもの)。利用ハードルが低く容易に発信できるからこそ、ある意味で人の本質が表れやすいコミュニケーションツールとの見方もできよう。そして、それだからこそ、ツイートする内容は「思っただけ」との認識で用いないように、注意が必要であることは言うまでもない。「気を付けないと自分の本質も含めた想いがだだ漏れとなる」とは言い得て妙に違いない。
昨今、知識人、著名人、そして「先生」と呼ばれるような公職の立場にある方々ですら、この基本的な要素を忘れ、ソーシャルメディア、中でもTwitterに書き込みをしている人が多数見受けられる。その方々に向けての注意喚起も合わせ。
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