ネット上で本名を出すか出さないか、そこから生まれるさまざまな感情
2011/11/17 06:32
ネットエイジアは2011年11月14日、ソーシャルメディア利用者における「対人距離感」に関する調査結果を発表した。それによると主要ソーシャルメディア「ブログ」「ツイッター」「mixi」「Facebook」いずれか一つ以上を利用している調査母体においては、実名を公表せずに活動している場合、「言いたいことを言いやすい」と感じている人は約7割に達していることが分かった。一方で「実名を出した方が、実名を出さない時よりも『本当の自分』らしい」と考えている人は過半数に及んでいる(【発表リリース】)。
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今調査は2011年9月20日から27日にかけて、15-44歳の男女で「ブログ」「ツイッター」「mixi」「Facebook」いずれか一つ以上を使っている携帯電話ユーザーに対し、携帯電話経由のインターネットリサーチ方式で行ったもの。有効回答数は1020人。男女比は34.6対65.4、年齢階層比は10代・20代前半・20代後半・30代前半・30代後半・40代前半で均等割り当て。
今調査母体では原則実名主義のFacebookを除けば、ソーシャルメディア上で実名を公開している人は少数派に属する。
↑ 公開している自分の情報(個々サービス利用者に対する比率)-1(再録)
これは他の調査でもほぼ同じ傾向で、例えば【ソーシャルメディアで使われる名前と本名との関係(2011年版情報通信白書より)】でも1割程度という結果が出ている。
↑ ソーシャルメディアでの実名・ハンドルネーム利用率(ソーシャルメディアの種類別)(再録)
それでは実名(名前)を公表せずにソーシャルメディアなどを使う場合、どのような傾向が自分自身の行動に見られるだろうか。主に感情表現の観点で見た項目についてまとめたのが次のグラフ。
↑ ネット上で自分の名前を公表しない場合、どれくらい自分自身が当てはまるか(「そう思う」「まあそう思う」の合計=肯定派)
7割前後の同意率は「言いたいことを言いやすい」「普段出せない自分を出せる」の2項目。「ネット弁慶」というとマイナスイメージが強いが、インターネット上で実名を出さずに(=本人の特定が難しい、初期設定上の名前、例えば「名無し」など匿名なら特定対象として識別されない)意志表示をした場合、解放感のもとで語れることを意味する。うなずく人も多いに違いない。
次以降の項目はやや同意率が下がるが、「自分の望む姿になれる」「相手に厳しくなりやすい」「自分に優しくしやすい」「相手へ攻撃的になりやすい」など、変身願望、そしてやもすると「自由度」に振りまわされている状況が見て取れる。何かあってもペナルティを受けにくい状況ならば、「暴走」してしまう衝動に駆られるのも無理は無い。
また、男女別に見ると、特に上位項目において女性が男性を大きく上回る傾向が見られる。元々女性は男性と比べてインターネット上のコミュニティ活動に積極的であることが多々の調査結果で知られているが、この「解放感的」の高まりの強さが、その一因と考えることもできよう。
一方、次のグラフは主に対外面での項目。
↑ ネット上で自分の実名を出す・出さないと自分の行動性向について(「そう思う」「まあそう思う」の合計=肯定派)
ある程度「シールド」に守られリスクを軽減できる環境下における、ネット上の付き合いだけで満足できる人も多い。しかし、たとえその相手が実名を出していなくとも(≒実際にはどのような人物か認識していなくても)、本人と会って交流したいと考えることがある人は6割前後に達している。それほど相手に魅力を覚える場合もあるだろうし、ネット上の意志疎通だけでは物足りなさを感じることも考えられる。
一つ上のグラフで「他人に厳しく自分に優しくなる」傾向が多分にあることが指摘されている。結果として相手の実体を知らない場合、ネット上の情報だけで判断を下し、その情報不足からトラブルを引き起こしやすいと認識している人が4割強に登っている。ネットコミュニティのやり取りの向こうに「実体」が見えない場合、ついアグレッシブになってしまうのだろう。逆に自分自身が実名を出すことで、実体を相手に知られることになるため、別人を装うことが難しくなる。実名を出した方が「本当の自分」らしいと思う人は過半数に達している。
男女別に見た場合、男性の方が実名・リアルへのこだわりが強い感が見受けられる。逆の視点から見れば、女性はネットコミュニティ上でのやり取りに慣れている、と考えることもできよう。
男女間では女性の方が、男性よりも「ネット上での解放感が強く、同時に割り切り感も備えている」、ネットコミュニティを上手く使いこなしている雰囲気がある。だからこそ、他調査でも利用率・活用率も高い値が出るものと思われる。
他方ネット上では「なりきり」でコミュニケーションを楽しむため、本人自身とのリンクが薄いことから、つい暴走してしまう様子もうかがえる。もちろん本名でもハンドルネームでも一回限りの別名でも、そして特に名乗ることが無くとも、現実問題として「意志の主張をした本人による行為」には違いない(物語を描いているのでない限り)。そのあたりをわきまえていないと、遅かれ早かれしっぺ返しを食らいかねない。各自、十分な留意を願いたいところだ。
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