完全なクローン技術が創られたらどうなるかを想像してみた

2010/04/10 12:05

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クローンな人たちSFやマンガの世界でしばしば登場しながら、現実には創りえないだろう技術の一つが「完全なクローン生物(人間)」の生成。遺伝子が同一の生物は創りだすことができたとしても、その生物を個性ある個体足らしめる思考や精神的な面までは複製できないからだ。元々「考え」「気持ち」「精神」がどのようなものなのかを定量化することすら出来ていないのだから当然なのだが、もし仮にそのハードルを超えることができたら、いったいどういうことになるのだろうか。【Webphemera】で面白おかしく検証した話を紹介することにしよう。



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↑ クローンな人たちの受講風景
↑ クローンな人たちの受講風景

クローンな自分達を引きつけて大学の授業に参加。ただし全員が授業をちゃんと聞きいれるという保証は無い。……原文には無いが、もし教授に名前を呼ばれたらどうなるのだろうか。


↑ クローンな人たちのブレインストーミング
↑ クローンな人たちのブレインストーミング

「三人寄れば文殊の知恵」ということわざがあるが、これだけ頭脳が集まればどんな難問でも解決し、素晴らしいビジネスを構築できる……かも。いやむしろ、みんな同じ考えで凝り固まってしまうかも。

↑ 自動車の洗車も簡単、簡単
↑ 自動車の洗車も簡単、簡単

一人だと大変な自動車の洗車も、自分達の力を合わせればあっという間。……一人一台ずつ自動車を持っているとしたら結局同じことだけど。

↑ 自分パーティー
↑ 自分パーティー

自分のクローンたちと仲良くやっていけるのなら、気が向いた時にパーティーでさらに親ぼくを深めよう。

↑ 子供のように公園でたわむれる自分達。なんだか異様な光景だ
↑ 子供のように公園でたわむれる自分達。なんだか異様な光景だ

↑ 自分のクローンたちに社会的常識や自分の過去の経歴を教える様子。先生は僕、生徒も僕
↑ 自分のクローンたちに社会的常識や自分の過去の経歴を教える様子。先生は僕、生徒も僕

クローン技術が完全なものでない場合、自分のクローンたちに幼少期のような行動が生じるかもしれないし、自分の過去の経歴や社会的常識を教えねばならないかもしれない。自分の時間を分け与えてこそ、彼らは自分の複写足りうるわけだ。

↑ しかしクローンも人間である以上……
↑ しかしクローンも人間である以上……

しかし彼らクローンもしっかりとした意識を持った人間である以上、「他人の複写としての存在」よりも「自分自身としての一人」として時間を過ごしたいはず(自分自身が他人のクローンだった場合を想像すれば容易に理解できる)。結局、「仮に」完全なクローン技術が出来たとしても、一般人にはあまり役立たないだろうな、というところで元記事は落ちがつく。

これらの写真は元記事によると、すべてフォトショップの加工技術を用いて作成されたとのこと。そっくりさんを使ったわけではない。ソフト本体とちょっとした技術、そしてアイディアと時間さえあれば、誰もが「クローンの世界」を演出することができる。

フィクションのクローンといえば、例えば藤子・F・不二雄先生のクローン人間をテーマにしたマンガ「俺と俺と俺」では、最終的にクローン二人とオリジナルの二人が(同じ考えを持つからこそ)自分が描いてきた夢にそれぞれ「別ルートで」チャレンジし、定期的に入れ替わって人生を楽しむという、実にポジティブな考え方でまとめている。俳優や舞台で活躍する人たちも、それに近い心境を持っているのかもしれない。

そのような世界で色々と活躍する自分の姿を、デジタル画面上で創造してみるのも悪くは無い。



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