【更新】自分の目の前にあるものがすべてではないことを知る

2009/09/24 05:44

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ハンバーガーイメージ先日【大企業役員のボーナスや給与と企業業績の関係】のまとめの部分で「『自分の目に留まったもの、自分の周囲にあることが、世間全体すべてに共通していることだ』と誤認してしまう」という表現を用いた。実体験をして学びとる「実学」は極めて重要だが、同時にそれが世の中のすべてではない、自分の手の内にあることが世界の「ことわり」を全部表しているわけではないことも、また事実に他ならない。最近良く耳にする「あの商品(サービス)は暴利をむさぼりすぎている。原価があれだけなのに、きっと大きな中抜きをしてぼろ儲けしてるに違いない」という批判の類も、「原材料と商品という、目の前にあるものだけをすべてと思ってしまう」がための誤解だろう。今回は「目の前に見えるもの、見えないもの」について少々思うところを書き連ねてみることにした。



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原価と商品価格が離れすぎ=暴利、なのか
定期的にインターネット上に話題に登るのが、ファストフードや清涼飲料水、化粧品の原価。内部資料の漏えいのような形で、有名どころの商品一覧とその原価がずらりと並び、「どうだい、君たちが手にしているあの商品の原価はこれだけでしかないんだよ。かの大企業はどれだけ暴利をむさぼっているんだろうね」と言わんばかり。当然その類の情報が流れるたびに、ネット界隈は大炎上モードとなる。

でもそれって、本当に「暴利」なんだろうか。

例えばある商品を何の努力もせずに何のリスクも無く経費もかけずに右から左に流し、原価の何倍ものマージンを取っていれば、「暴利」の非難は免れまい。例として、材料原価30円・定価200円のハンバーガーを挙げてみる。

材料原価30円・定価200円のハンバーガー。この両端だけ見せられれば、「儲け過ぎ、もっと安くしろ」という意見が出てきてもおかしくはない。
材料原価30円・定価200円のハンバーガー。この両端だけ見せられれば、「儲け過ぎ、もっと安くしろ」という意見が出てきてもおかしくはない。

これだけを提示されれば(そして現状では雑誌やお茶の間向けワイドショーなどの報じられ方を見ると、それに近い状況なのだが)、「暴利をむさぼっている」という意見も出てきて当然だろう。

魔法などない。目の前の商品にはたくさんの「裏方」が関わっている
しかしこの例なら、ハンバーガーの企業は魔法を使ってコスト無しに食材をハンバーガーに変え、お客の目の前まで運ぶわけではない。食材を管理しながら輸送し、工場で各パーツ(パティ・バンズ・トマトの輪切りなど)を生成して、まとめあげ、各販売店まで運んで行く。販売店では商品在庫を管理しながら、お客の注文に的確かつ素早く対応し、商品を提供する。

目の前の商品には
原材料だけでなく
数多くの人の労苦が
詰め込まれている。
各販売店単位で、そして地域・企業単位で商品が途切れないような流通システムの確立と運営も必要。さらに商品のさらなる質の向上やコストダウン、新商品の開発など研究開発部門も毎日作業を進めている。そしてさらに彼らの人事総務面を取り扱う事務方がいなければ、企業は一日足りとて維持できない。

彼らの活動は社会奉仕では無い。それぞれが自分の仕事を誇りとし、自分の一挙手一投足が社会や企業の業績に貢献と信じ日夜努力を続け、その活動に見合う対価を給与などの形で受け取っている。上記の例なら食材原価30円とハンバーガーの商品単価200円の差額、170円には、目の前にある食材とハンバーガーを結びつけ、お客に提供するために裏方で働く多数の人たちの努力に対する対価に他ならない(もちろん企業としての利益も上乗せされてはいる)。

原価と商品価格には大勢の「裏方」さんたちの努力への対価が盛り込まれている。
原価と商品価格には大勢の「裏方」さんたちの努力への対価が盛り込まれている。

もちろん企業の常としてコストカットによる、一層安価な商品の展開はお客が望むところ。「安さ」もお客へのサービスの一つに変わりはないからだ。しかしそれでも実際にこれら「裏方」の人たちの働きぶりを見れば、原価ばかりに着目してやみくもに「もっと安く」「高すぎる」との声は収まりを見せるはず。

似たような話は昨今話題の「派遣業企業の中間マージン」にも言える。派遣社員が手元に受け取る手取りと、派遣を受けた企業が派遣業企業に支払う派遣料との差額を見て(過去に派遣を受ける側の立場での経験則では、大体50%プラスマイナス20ポイントが相場だった)、「派遣業企業は暴利をむさぼっている」という意見が多数を占めると報じられてはいるが、それは「暴利なのか」という点と「多数がそのように思っているのか」という2点で本当なのだろうか。

派遣業の企業とて魔法を使って、派遣社員に最適な仕事をマッチングさせて派遣させているわけではない。マッチングを行うシステムの管理と運営、各社員への保険などの負担(福利厚生が正社員なみのところも少なくない)、さらに社員に割り振るための求職案件を一つでも多く確保するために営業活動を行う必要もある。

仮に派遣業企業が行っていることを、派遣社員がすべて自らやってみるとどうなるか考えれば良い。恐らくは非常に大変な思いをすることだろう。その「大変さ」が派遣業企業の取り分に他ならない。

ちなみに、「漫画家や作家の印税、発明に対するパテントはどうよ? あれこそ暴利では?」という意見もあるが、あれは世に認められた才能や努力に対する成功報酬。

見えないもの、努力をしている人を知ることで、「商品の価格」の意味が分かる
モノの原価ばかりを気にして、商品価格と比べて「ぼったくりすぎる」「暴利過ぎだ」と非難する風潮。その風潮が高まりを見せているのは、上記で説明しているように、それぞれの商品が手に届くまでにどれだけの人の手を介しているのか、どんなに多くの人の労苦を必要としているのかを理解していない・知らされていないから。

無駄を省く努力は
企業にも求められている。
しかし必要不可欠なものを
「目の前に無いから」
という理由だけで
無駄扱いされるのは理不尽。
もちろん「無駄を省いて、工夫を重ねてコストダウンを(例えばパッケージの簡略化や配送ルートの最適化)」という具体的な意見ならそれは「アリ」であるし、企業側も積極的に耳を傾けるべき。しかし、その範ちゅうを超えて闇雲に「自分が払うのは原価から1円足りとも上乗せされれば高いに決まってる」とする主張は、暴論でしかない。

見方を変えれば、モノが創られる過程を教えられなくなったり、モノづくりを軽視する大人が増えたり、モノづくり・流通に携わる人たちを信頼していないのが、極端な値引き要求・「暴利発言」につながるのだろう。目の前に出された商品がそこにたどり着くまでに、どのようなプロセスを踏んでいるのかを知らされる場が少ないこと、そしてそれゆえに[わらしべ長者の見積もり感覚(keitaro-news)(外部リンク)]でも語られているように、企業と消費者・利用者との間にある不信感が昨今の風潮を生みだしているといえる。「不信感こそが共通の敵であることは覚えておいた方がいいと思います」というリンク先の言葉は、まったくもって金言といえよう。



「目の前に出された商品がそこにたどり着くまでに、どのようなプロセスを踏んでいるのか」。これを多くの人に知ってもらうことで、昨今の悪しき風潮にブレーキをかけることはできるはず。本来ならば各教育機関や報道に頑張ってほしいところだが、前者はともかく後者はむしろ嬉々として叩く方に回っているので(何しろ叩く方が簡単安価に危機感をあおることができ、視聴率が上がるのだから)、宣伝番組以外は期待できない。

気がつけば
自分自身に石つぶて
企業側としては積極的に教育機関に働きかけて自社商品の開発状況を知ってもらう(講演会や工場見学、一日体験教室など方法はいくらでもある)のはもちろんだが、動画などを用いてインターネットメディア経由(単なる動画の垂れ流しではなく、色々と工夫する手立てはある)で、さらには路上などにおける「昔ながらの」広報活動も展開し、企業への理解を深め、不信感を払しょくする努力をするべきだろう。もちろん不信感を体現するような不徳な行為を慎むべきことはいうまでもない。

消費者・利用者にしても、風潮に流される形でむやみやたらと「原価原価」「マージンマージン」と声高に叫んで企業に石つぶてを投げていると(むしろこれも実はごく一部なのかもしれない)、気がつけばその石つぶてが自分自身の身に降りかかってくるかもしれない。何しろ企業の「裏方」、目の前の商品からは見えないところで働いている人は、自身の保護者かもしれないし、本人自身かもしれないのだから。


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